「ポスト・トゥルース」時代に必要な大前提
トランプ・タワーでオバマが盗聴をしていた――!?
翻ってメディアのニュースは真実なのか
「フェイクニュース」を発信する者が意図的に嘘をついていることも多い。しかし、冒頭のトランプ大統領のように、発信者自身が始めは正しいと思っていても、思い込みや見込み違いから虚偽になってしまうこともある。
情報の根拠を調べようにも個人で出来ることは限界があるだろう。ネットでの情報発信は、いちいち裏を取る手間を省いて、とにかく迅速に情報を発信できるということが利点ともなる。
大手メディアの場合には、基本的には情報の根拠を調べ、裏を取ってから報道するために、ネット上で個人が発信した情報よりも確かな情報となる。時に誤報をすることもあるが、メディアは信用が何よりも重要なので、誤報は命取りとなる。報道はできるだけ客観的に、中立的な立場でされるのが原則だろう。
だが、果たしてメディアの報道は完全に客観的で中立に成り得るのだろうか。
事実に基づいた情報は、客観的な真実とされる。しかし、人間は世界に起きている出来事を「事実」としてどれだけ完全に把握できるのだろうか。それをどれだけ正確かつ中立に情報として形にできるのか。そもそも、何かが真実であるとされる根拠、すなわち真理の根拠とは何か。こういった問題は、西洋の哲学が議論し続けてきた問題でもある。
ニーチェ(1844~1900)が『ツァラトゥストラはこう言った』(1885)において「神は死んだ」と書いたことは有名である。
哲学は「万物の根源」を探究し、究極の真理を探し求めてきた。ニーチェの言葉からは様々な意味を読み解くことができるが、哲学が求める究極の真理など存在しないという主張として理解することもできる。
現代の哲学では様々な流派があるが、その多くは、人間が究極の真理に到達できるという考えに否定的である。